μακάρτόν ἐστιν μᾶλλον διδόναι ἢ λαμβάνειν. 受くるよりは與へる方が幸なり。


私は、諸君を愛したい。しかしながら、不可能を感じている。諸君は度々私に好意を示し、良くしてくれるが、諸君の背後に、諸君は私の最愛の主人を磔にしている。

諸君の存在における主題は何だ。動物の生殖活動か?社会における権利か?高貴さと相反するところの―動物と共通の、形象における上・下、先・後の感覚―優越か?知識欲か?文学的激情か?言語に実在―法の執行と征服―を求めたり、世界を燃やし尽したりすることか?飽きないか?

誰かと、ずっと一緒にいたいと想ったことはないのか?諦めたのか。永遠などと言って。それで何もかもが虚しいという度量があるのに、その願いのためにすべてを懸ける勇気はないのか。すべてが虚しいにもかかわらず。

主題が一致すれば、家族だ。同一領土に異なれば、互いが互いに死だ。とりあえずは国家普遍で大地に領土の線引きをしたって、実在は、世界はひとつしかない。

敬愛する爺やに抱きしめられ、可愛いい子どもにキスをされ、理解と尊敬を語り合うことほど、私の23年の人生の中で、素晴らしいことはなかった。我々は永遠を願っているし、事実、我々の愛はそれだからだ。

諸君が私の主人と私たちを愛してくれるなら、今まで私が出会った良き人々の愛が永遠に手に入るなら、世界など燃えてしまえと思うのだ。塵の上の普遍とは如何に?動物の血縁の上の絆とは如何に?

人間の無知と無能は、全知と全能を賛美するために、主題の選択をより尊厳あるものにせしめ、神と同じ仕方で神が自らを限定する主題―「キリスト」―を選ぶためにあるのだ。その主題のためにその創造が始まったこの世界では、動物に連なる主題、塵の上の国家に連なる主題、あるいはどこかの処女を棘付き鉄棺に閉じ込めて自分たちの悪を増し加えようなんていう主題を選んだ者たちは、まとめてどこかで焼かれてしまって一向に構わないのだ。

ひどいかい?日本の言論文化の反則項目に引っ掛かるかい?しかし、嫉妬するんだ。というのも、諸君は私の主人を主題にして成り立っている世界で、散々に彼を十字架に打ち付けてきたのだ。知らなかった?いつかって?たとえばそう、諸君が塵でしかないものを領土とか聖地とか呼んで、国家や誤謬のために殺し合いをした時などかな。
主題は、別の主題を排除する。諸君は、彼に殺されてもいいぐらいに愛されたのだ。

だから、諸君が彼を愛するなら、世界など、諸君が罪悪の記憶ごと燃やされてしまえと思うのだ。嬉しいからね。

彼にとっても、諸君の愛に勝る他の命題など、この世界にありはしないのだ。