ἐν θηρίοις δὲ καὶ πιθήκοις ὄντα δεῖ εἶναι πίθηκον. 獣や猿の中にあるときは、[獣や]猿たるを要す。

人間は完全になりえぬから、唯一完全なものだけが、人間に完全な柔和を与えてくれる。

「宗教がなければ」、という言葉をよく聞く。そういう人間の内面は、ぐしゃりと潰れたトマトのようだ。信じることで初めて知ることを始める人間の自我を否定している。何かを信じる人間の全てを、その内に殺している。それでいて、真実と法を求めることが出来ないほどに女々しい。

戦争は悲惨だ。ただし、それが王権・一所有権を振りかざして言論の決着とするような野蛮である場合には。法を知らぬ者は、ただ浅薄に、用語だけを見つめる。

真実は、全でなければ真実ではない。法は一でなければならぬ。同一事態に複数の法の要求があるならば、法が形相上に働く暴力である以上、決着がつけられねばならぬ。何者でもないものは塵に帰らねばならぬ。人間の芸術においてさえ、全ては表現されねばならない。いわんや裁きにおいては。

法を要求する、意味と形相の双方の領域を、人々の一致できる範囲まで限定することによって得られる「平和」は、沈黙という停戦であっても、終戦ではない。ましてや、もはや何のことばも求めず、自我を拒否して、「実体」と呼ばれる「形相・形・形象」からも意味を除くことによって作成される虚無の観念を真理と呼ぶことは、何の悟りでも救いでもない。「夢」や虚構の作成に節操節度が無くなるというだけだ。「虚無」を、塵を自らのことばとして選んだ人々は、塵にならねばならぬ。


信仰とは、「あれ」という神性の欠片である。私は、私の「あれ」からキリストを除くことはしない。人間の配偶者は、彼以外にふさわしくない。